◆で、結局のところ承認欲求ってなんなん。
おしりふきをたんと出して散らかしてそして私の目を見て箱の中にちょっと戻そうとするそぶりを見せる凛です。
なんか、思うんですよ。
「いいね欲しいやつとかw」
「承認欲求強いw」
承認欲求があると結構巷じゃバカにされる対象じゃないですか?
でもでもでもでも。
でも待ってくれやぁ。
承認欲求ない人間私会ったことないぞ?(笑)
承認欲求がない人はきっと褒められても
「はぁ、それがなんですか?」
「そんなこと言われても、だからなんだって感じなんですが」
なんていうこの夏乗り切るためのクールビズを通り越して突然の氷河期です。( ? )
褒められたら、大体ニヤニヤしちゃいますよね。
ニヤニヤしたことない人は、近代の霊長類ヒト科において承認欲求のない人間として初めてでしょうから、専門家に伝えておいてくださいね。きっとテレビで取り上げられます。
そう、承認欲求は誰でもあるもの。
承認欲求は
「あるか、ないか」
ではなく、
「多いか、少ないか」
というか、
「過剰に出てるか、出てないか」
じゃあその過剰なのかどうなのかをどう測るのか・・・ということなんですが。
メチャクチャ簡単です。
◆自分の実力以上と見せかけてるかどうか。
それだけ。
インスタでチラホラ聞いた話。
「一人メシと思われるのは恥ずかしいから、2人分頼んで写真だけ撮ってあと食べない」
「友達いないと思われるのは恥ずかしいから友達を雇って写真撮ってもらう」
(↑ワタシは店員さんからハズカピーとかその雇われる友達役の人には羞恥心感じないんかとか思うんですが。(笑))
これはもはや詐称レベルですが、本当の自分を上乗せして見せて評価をもらおうとしてますよね。
◆過去の栄光にすがる
のも同じです。
その時は確かに評価をもらえたかもしれませんし、確かに素晴らしいことだったかもしれませんが、昔に頼って「今の自分を評価してもらいたい」のもさりげなーい詐称です。(笑)
◆評価のために頑張る
これも、「過剰な承認欲求」に入っちゃいます。
「評価を受けること」ってその先がありません。
逆に実際良い点数が取れても人に褒められなかったら、その承認欲求は永遠に続きますが。
「評価」は何かの目的のためについてくるものです。
「評価されるための評価」がもらえたとして、
決してその評価は無駄にはならないものの、
「で、私は何やってるんだろう?」ってところにぶち当たると思います。
本当の自分を詐称して嘘ついて頑張ること・・・
頑張ること自体は悪くないですけど、「嘘の頑張り」をしていると、誰もその人の本当の自分を見てくれはしません。
結局この3つから得た「いいね」も「評価」もまがい物の自分から出てきた評価。
つまり、本当の自分を出さなければ本当の今の自分を正しく評価してくれることは1000%絶対ありません。
本当の自分の評価は低くなるかもしれません。
けど、そこからが「ありのままに生きる」スタートラインです。
逆言えば、ありのままで勝負してそれ相応の評価をもらったのならきちんと受け取りましょう。
「承認欲求強いw」
「わざわざそんなこと自慢しなくても」
なーんてなんにもわかってない人からは思われるかもしれません。
そんな人は無視するか、むしろ堂々と妬まれましょう(笑)
それをやりたくて頑張ったならいいじゃないですか。
「こんなに頑張ったよ〜褒めて💖」
「褒められて嬉しい💖」
素直にそう感じて良いんです。
SNSでも堂々と書いちゃっても良いんです。
でも、本当は「褒めてもらうこと」より大切なことが手に入ったはず。
自分でわかってますよねそんなこと。
評価してもらうのはちょっとエネルギー補給させてもらいまーす💕ぐらいのもの、ですよね。
「本当にやりたいことをやり遂げたこと」だったら、思いのほか評価が少なくても充足感に満たされることでしょう。
自分の生き方に嘘を付いてなければいくらでも自慢もしても良いと思います💖
自分に嘘のない人生を💖
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