■無理に個性的になろうとしなくたって、「ありのまま」が一番の個性。
こちらから読んで見ると読みやすいよ。
中学の頃、全てに対して反抗的な友達がいて。笑
皆と同じは嫌!
皆と違うことしたい。
とやってたから、、嫌われていたというか、気持ち悪がられてたかな。笑
でもその友達が「個性を出すことに執着」すればするほど、「皆と同じじゃない?」って気持ちが強くなった。
だって反応するポイントが皆と同じだったから。
「〇〇が流行ってる」と知れば嫌いになり、
「〇〇が皆嫌い」と知れば好きになる。
「私は、天邪鬼だから!!」と声高々に言ってたのだけども、「それって普通です」って言ってることと同じじゃね(・∀・)?
と感じていた。
反応するポイント皆と同じじゃーん
皆と同じところ意識しちゃってんじゃーん
ある物事に対して
「反応するのか」
「反応しないのか」
これが人と人の一番の違いなのだと思うのです。
どーでもいいのか。
めっちゃ気になるのか。
好きでも嫌いでも気になってるなら同じ「気になってる」の部類に入るわけです。
マザー・テレサの「愛の反対は憎しみではなく無関心である」もまたまさにそれを表してて、
ゼロが無関心だとして、
10が好き
-10が嫌い
とすると、
反応率的には「10」も「-10」も同じわけです。
無理に個性的になろうとしたって結局は
「10」を「-10」にひっくり返そうとするか
「-10」を「10」にひっくり返そうとするか
ってなだけなのです、笑
人が「この人面白い!」と感じるのは、
「そこ!?!?」っていう着眼点です。
着眼点。
と、ここで、
「着眼点ね!OKOK!!」
と、個性的になろうとしてるあなた。(笑)
人の興味なんて、、、どう頑張ったったってそれぞれでしょう。
無理に着眼しようとしたってできないもの。
降参してしまおう。
その発想こそ「自分が普通であると認めている」ということを。
そして、そんなことしなくたって、実は個性的であるということを。
無理にアレコレしようとする方が、
自分で枠組み作って、
自分で自分を縛って、
自ら個性を消してしまうことに
気づいてしまえ(・∀・)
なぜ、無理にアレコレしようとするかというと、
他人の目線を気にしているからなのよ。
「私って、普通じゃないでしょう?」と他人の目線を意識すればするほど普通になっていくんだちょ(・∀・)
他人の目線気にして「個性的になるよ!」ってやってけばやっていくほど、
「他人の予想通りのごく普通な人間」になるのよね。
だって他人の目線を意識してるからね。笑。
確かに周りは
「この子普通ではないな・・・」と思いつつも
「個性的ってわけでもないな・・・」と「違和感」を感じるわけ。
中学生の頃の私みたいに。
その「違和感」って、
「この子、演技してるな・・・」
「嘘ついてるな・・・」
というわけです。
ハデなことしてみても、
人と違うことしてみても、
内容がなかったら瞬殺で誰も見なくなるしね。ははは。
一度は目をひいいても、「あぁ、」で終わりなんだよな。
例えば、
個性的になりたいがために「電車オタク」と名乗ってたとして、
本当に電車が好きじゃなかったら瞬殺で「エセ電車オタク」だってバレるでしょ(・∀・)?
そんな「中身のない個性」を無理に引っ張りださなくて良いのさ。無理に引っ張り出そうとしてる時点で自分で自分の個性つぶしてるぜ。
ありのままが一番個性を活かすのだから。
嘘偽りのない自分で勝負しようぜ。
嘘のない自分で生きていこう覚と悟決めたい人、来るといいだよ。
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悔しいけど「フツー」を認めつつあるあなたへ(・∀・)
ありのままがわからなくなったあなたへ(・∀・)