■【完全版】「役に立ちたい」のトリセツ。
これまで、色んな理論に出会ってきた。
就活では「人の役に立ちたい」と言い回り面接をパスした。
仕事に疲れてからは「人の役に立つ前に、自分を笑顔にしよう」と自分を満たすことを学んだ。
でも、やっぱり、経済は「人の役に立つこと」で成り立っている。
就活の面接で「人の役に立ちたいです」と言う人が有利なのは、当たり前なのだ。
この言葉は色んな意味合いが含まれているのだ。
だから、かなり難解なコトバなのだ。
昨日書いた記事を元にモデルを描くとするならこういう過程になる。
①自分が幸せになる。
②自分の幸せをシェアする。
③他人の幸せをシェアする。
④みんなで豊かになる。
この過程を歩んでいる人は
社会の幸せ=自分の幸せ
という人だ。
そんなキレイごとがあるか。
と思うと思うのだけれども、
どうだろうか。
わたしたちには色んな生き方がある。
けど、
そもそも私達は、
一人残さず歴史上の人物である。
という自覚が必要なのである。
(話が壮大になってきたよ!
でも、みんなついてきてね!)
例え教科書に記されなかったとしても、
この2018年を生きる、生きた歴史上の人物なのである。
その一人一人の影響値は、確かに個人差がある。
けど、それは「多かれ少なかれ」の話であって、
絶対的にどこかで誰かに
影響を与えている人物なんですよ。
一人残さず社会の中に生きている。
専業主婦であっても。
どんなにひきこもっていようとも。
とっても、ソーシャルな、存在なんです。
だから、社会の幸せ=自分の幸せ
なんていうのは、実は綺麗ごとのようでいて、当たり前なんだと。
そう思うのです。
けだしっ!
この自覚をしている人というのは、全員ではないようなのです。
【パターン1:承認欲求を満たすことで精一杯】
①自分が幸せになる。
②自分の幸せをシェアする。
ここでストップしてしまう人。
恐怖心があるんですよ。
他の人の幸せをシェアすると、
自分が不幸になる
自分が不利になる
食ってかかってこられる気がする。
襲われる。
っていう気がする。
だから、
自分が派手にまとって
素晴らしいことを主張して
それだけで精一杯。
他人から承認して”もらう”ことで精一杯。
まぁ結局自分幸せちゃうやん。
ってゆーオチ。
幸せ自家発電がない。
皆に供給されることでどうにか幸せ風になってるんですね。
【パターン2:自己犠牲することで役に立とうとする】
①②はかっとばし、
③他人の幸せをシェアする。
④みんなが豊かになる。
みんな「で」じゃないです。「みんなで」には「自分」も入ってるでしょう。
「みんなが」の「みんな」には「自分」は入ってないんです。
自分だけは犠牲になるので、皆さんだけはどうにか幸せになってください。
なれるかぁ!!!!
ちょ、お前だけ不幸顔で笑ってられるほど性格悪くねーぞ!!!!
あ、不幸を望んでるのなら、即無視するけど!!!
自己犠牲にしても役に立ちたい。というのは
どうしても認められたい。
嫌わないで、お願い。
私を一人ぼっちにしないで。
というところなんです。
二つは相反しているようで、、、、
実は同じ。
自分のことで精一杯。
社会と自分は別物であり、
リンクできるわけがない。
って思っているんですよね。
そんなことないのに。
※パターン2の自己犠牲にすることで役立とうとするやつは、
社会のためにとか言っときながら実は私利私欲のためです。
認められたいからってのはもう完全に私利私欲。
「役立ちたい」なんて嘘っす。
でも
社会の幸せ=自分の幸せ
は、いつでも自分にリンクできちゃうんですよ。
社会の幸せを感じたら、
いつでも自分の幸せへぶっ飛べるんです。
すごくない?
ねーねーねーすごくない?
(笑)
じゃあ社会的に情勢が悪くなったら不幸ってことっすか~
生きにくい時代だったら不幸ってことっすか~~
って疑問が出てくると思うんですけど、全く違います!
社会を良くしていこう!という姿勢です。
結果じゃないんです、過程です完全に。
到達地点まで歩む過程の中で、
社会と自分という糸が強く太くなるんです。
その自覚が、「歴史を歩むひとり」となるのです。
社会の幸せ=自分の幸せ
にぶっ飛べる自分へ!
いやー!!なんかスンバラシイこと書いちゃった気がする。爆笑。平成最後の最大の発見!!!!!笑。
これは是非とも色んな人に読んでもらいたい。必要な人に届きますように。ということで、是非シェアやいいね、ブックマークしてくれると嬉しいです!!
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