■自分にとっての「リスクのない世界」と「リスクをとる世界」
リスクをとらない人生をずっと選んできてた。
と、気づいたのは、ついこの間だ。笑
失敗しても痛くないぐらいの、ぬくいところにいるのがちょうど良かった。
安全地帯にいることが、私にとって不可欠だった。
私、ヨッシーストーリーの2面以上をクリアしたことないのね。
1面しかクリアしたことない。笑
2面もね、「敵にやられた」ではなく大半が自害ですよ。
笑
同じ「死ぬ」んだったら敵に立ち向かって潔く死ねや!!って思うでしょ?(笑)
2面あたりは確か、敵がボッ!!って炎出してきたりするんですよ。
でね、小学生の頃の私はヨッシーが炎に包まれるのがもうかわいそうで見てられなくて仕方なかったの(´;ω;`)w
で、なんか怖いどっかに連れてかれる。泣。(笑)
敵に首をとられるぐらいなら自害すりゃあああああ!!
っていう織田信長精神。
それだったら自らの手で死んでやる。
敵や自然の摂理に身を任せてたら、、どんなひどい仕打ちが待ってるかわからない。
そんな怖い思いはしたくない。
それなら、、想像のつく結末を自分で選ぼう。
挑戦したらクリアする可能性だってあったのに。
挑戦したら楽しいことが起こるかもしれなかったのに。
でも、、挑戦したらした分だけ、ツラい思いする可能性だってあるから。
そういうことになったら、、ヤバいから。
そんなリスクを負うのはやめよう。
もうこのゲームは、やめよう。
もうこれ以上先に行くのはやめよう。
そうやって手に入るかもしれないワクワクを自ら切って捨ててたのよ。
何かを選ぶということは何かを捨てるということ。
何かをやめるということは何かを選んでいるということ。
いや、やめるっていっても、
「できない」
「どうしても怖かったから」
そうせざるを得なかったんだよおお(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾
選択肢なんて1つしかなかったんだよおお(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾
って昔のまりんこなら言うだろう。笑。笑。
選択肢をひとつにしたのは、、紛れもなく自分だろうが。って話でな。笑。
でも逆に言えば、それはそれで幸せだったんだよ。
人によって「何がリスクなのか」その定義は違ってくる。
自分にとっては当たり前のことが誰かにとってはリスクで、
誰かにとって普通のことが自分にとってはリスクに感じたりする。
自分にとって「普通じゃない」「当たり前じゃない」世界に、人はおののく。
「自分の知らない世界」というものに、人は怯える。
「未経験のもの」に人はビビる。
でも「自分の知らない世界」のウワサは耳に入ってくるわけ。生きてりゃ。
するとちょっと気になったりする。
そっちの世界に行ってみたい気もする。
でもやったことないから怖い。
眺めるしかない、、、
そうやってなんとなく避けようとする。
「ほんとはこういうことしたい!」って気持ちが強いほどリスクも増して感じる。
見てくれ的に「なんでも挑戦してる人」でも、挑戦してないことだってある。
その人にとっては「なんでも果敢に挑戦する」が当たり前だから。
例えば、
世界一周したり、
色んな仕事を転々とすること、
とか「なんかスゴイことしてる」人と見えていたとしても、
お母さんに「お母さんの作る肉じゃがはまずい」って言うことの方が挑戦だったりするのよ。笑。
隣の芝生は輝いて見えるよね。
自分の知らない世界って憧れるよね。
嫉妬するよね。
でも知らない世界に飛び込まないと何もわからないね。
じゃあ飛び込もうね。
そしたら芝生の輝いて見える理由はわかるし嫉妬するどころか憧れることもなくなっちゃうだろうね。気になるなら飛び込むしかないね。
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